英語は勉強より「コミュニケーション」から学べ【旅行記②ネパール珍道中】

英語で日常会話はある程度できてたつもりだったけど、今考えると結構めちゃくちゃな英語レベルだった頃に行った、ネパール旅行の体験談です。もう、十数年前以上も前のことになります。

私の英語学習法のひとつは、海外旅行をすることです。海外旅行は、現地の人々や旅行者同士と触れ合う機会があることも楽しみのひとつで、コミュニケーション能力を磨く絶好のチャンスです。

今は、翻訳アプリの性能も高くなっているので、スマホさえあれば英語が話せなくても何とかなる世の中です。

えいとりえいとり

でも、「コミュニケーション能力」って、必ずしも「言語」というわけじゃないと思うの。人は非言語の要素から得ている情報の割合が6割とも言われてるしね。

例えば、旅行にはハプニングがつきものです。そんなとき、瞬時に機転が効くかどうか「コミュニケーション能力」が問われます。つまり、サバイバルスキルが試されるのです。

ちなみに、私のネパール旅行は、ハプニングだらけの珍道中でした。思えば、ネパールに向かう飛行機に乗る前からおかしかったんです。

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旅行先にネパールを選んだ理由


なぜ、ネパールを旅行先に選んだのかは、ひと言で言えば「インスピレーション」。でも、具体的な理由もあります。

バックパッカーをやってて、ヨーロッパの国々を周遊し、ネパール旅行の前はトルコを2週間くらい放浪してたんです。トルコの旅はエキサイティングで楽しかったんですけど、何だかその忙しなさに疲れてしまって、自然の中で瞑想でもしたい気分だったんです。

「どこかホッとする静かな場所に行きたい」

そこで、当時は入国ビザの申請が事前に不要で、ビザが降りるのを待つこともなく、入国が簡単だったネパールを選んだのです。

空港の入国審査場でビザのお金を払えば入国OK。とてもシンプルでした。(今は観光ビザの申請も入国手続きも違います。)

ネパールは英語が通じるの?

ちなみに、ネパールは英語が通じます。ちょっとクセのある英語ではありますが。

公用語はネパール語ですし、英語圏の国の植民地になったこともありません。
しかし、ネパールでは学校によっては授業がすべて英語で行われるそうなんです。 国も英語教育には力を入れていてます。

映画は字幕がないので英語のままで見ているので、日本人より英語は上手です。

ネパールに向かう前の空港での出会い


カトマンドゥのトリブバン国際空港には両替所はないと情報を得ていたので、トルコのイスタンブールの空港で、「ビザのお金も必要だし、ネパールの通貨『ルピー』に両替してから飛行機に乗らなくちゃ」と思っていたそのときです。

たまたま空港で隣り合わせた男性から「カトマンドゥに行くの?」と声をかけられたんです。

彼は、Fabioというイタリア人男性で、カトマンドゥに半年くらい滞在していたみたいで、一旦イタリアに戻ったけど、またカトマンドゥにしばらく滞在するんだと言いました。

そして、搭乗までの待ち時間も長かったので、彼といろいろ話をして空港で楽しく時間を過ごしました。

あ、ちなみに、この彼と恋に発展したロマンティックな恋バナ旅行記とかではありません(笑)純粋にいい人だったんです。

カトマンドゥに到着したがトラブル発生


飛行機に搭乗し約7時間、ようやくカトマンドゥのトリブバン国際空港に到着。しかし、入国審査でトラブル発生。

ネパールに入国できない?

ネパールの通貨「ルピー」に両替するのをうっかり忘れていたのです。ルピーがない、ビザのお金が払えない。つまり入国できない。

えいとりえいとり

「え?せっかくネパールまで来たのに、入国できないの?😰」

と焦っていたところ、空港で出会ったイタリア人の男性が飛行機から降りて出てきたのです。

それで、すかさず言ったんです。(英語でどう言ったかは覚えていませんが、こんなニュアンスで。)

えいとりえいとり

“I have no Nepalese currency. So I can’t enter Nepal. Could you lend me some money for the visa? I can pay you in Euro.”
(ネパールのお金を持ってなくて入国できない。入国審査で払うビザのお金を貸してくれませんか?ユーロは持ってるからユーロで払える。)

本当はもっとめちゃくちゃな英語だったと思いますが。

ちなみに、当時の観光のための入国ビザの料金は日本円にすると3,000円くらいでした。

ナイスな彼はお金を貸してくれたんです。お金を借りられたおかげで、無事に入国もできてホッと一息。彼は言いました。

「しばらく長期でネパールに滞在するからユーロはいらない。お金を返すのはネパールのルピーにして欲しい。空港にはATMがない。市内にATMがあるから案内するよ。」と。

カトマンドゥの宿をゲット!観光に出かける

さらに、「ところで、宿はもう予約してあるの?」と聞かれたんです。

えいとりえいとり

「う…ううん…、予約してない…😅」

そうなんです。急に思いつきで決断して来たので、宿も予約してなければガイドブック読んだりもしておらず。つまり、情報が何もナイ!

バックパッカーは現地に入ってから宿を探すこともあるので、なんとかなるものだと思っていたのですが、カトマンドゥはあまりに何も事前の情報を調べていなかったんです。

「どうしようもないな、この人・・・。」という顔で、宿も彼に紹介してもらうことになったんです。

彼の宿泊先は大型マンションのある階をゲストハウスにしたもので、観光の中心地タメルやダルバール広場からタクシーで20〜30分ほど離れた落ち着いた住宅街にある場所にありました。

そこに滞在している友達や、その宿のオーナーを紹介してもらい、私も近くにある別のゲストハウスの一室をあてがってもらったんです。

アパートのような造りで、私の部屋だけで25〜27㎡くらいある広い個室で割と満足。しかも、たったの1泊300ルピー(当時は日本円で約300円)。コスパ最高。

バックパックを宿に置き、彼らに周辺を案内してもらいました。

えいとりえいとり

「は〜っ!これでひと安心。カトマンドゥ観光に行くね!」

Fabioやそこで出会った友達とみんなで夕飯を一緒に食べる約束をして、タクシーに乗って一人で意気揚々と観光に出かけました。お財布とパスポートと携帯だけを持って。

カトマンドゥで迷子になる


「神々の住む街」カトマンドゥの観光の中心地、タメルやダルバール広場を観光してお寺を巡り、ブラブラしていたら夕方5時くらいになっていました。「さぁ、宿に戻ろう。」と思ったその瞬間、あることに気づいたんです。

「宿の名前も住所もわからない!😰」

現地の人々に助けを求める

すっかり、案内してくれた彼らの親切さに甘えて任せっきりで、ちゃんと宿の名前や住所を聞くのを忘れてたんです。

思い出しました。彼らが「ネパールには住所がない場所が普通に結構あるから、郵便物を郵便局に取りに行かないといけないんだ」と説明してくれたのを。

おそらく宿には住所がなかったんです。でも、宿の名前すら聞き忘れていたのです。

えいとりえいとり

「え?どうしよう。どこに帰ればいいかわからない…。😰」

途方に暮れて、焦りながら周りを見渡したところ、20代くらいの今どきの若者の男女が集まっていて、パソコンが置いてある場所を発見したのです。

その中に駆け込んで、スタッフに聞いたら、どうもインターネットカフェらしい。ちなみに、日本のインターネットカフェとは全然違います。

広さは6畳くらい、床はコンクリートの土間みたいな感じで、小さなカウンターとパソコンが2台置いてあるだけのシンプルな場所でした。

その建物の中にはWifiもなかったし、コーヒーマシーンもなかった記憶です。とてもカフェとは言えない雰囲気でした。

周辺で見た塔を絵に描いて伝える


ちなみに、ネパールでは結構多くの人が英語を話せるんです。インターネットカフェに入るや否や、私はスタッフに英語でこう伝えました。

「Help me! I’m lost. 宿に帰れないの!住所もわからない!」

その場には、8人くらいの男女がいたのですが、その場がザワっとして、驚いたスタッフが私に尋ねました。

「え?どういうこと?」

「ヤバい人なんじゃないか」と思われていたに違いありません。英語でいろいろ聞かれたのですが、何も思い出せません。

スタッフ:「その宿の近くには何か目印になるようなものがなかった?」
と聞かれ、あることをふと思い出したんです。

私:「あ!Park!公園があった。なんか、塔みたいなのが公園にあった」

その塔を思い出した瞬間、「これできっと私は助かる」という確信めいたものがありました。

スタッフ:「それはどんなもの?」

私:「えっと、なんか人の顔みたいな塔で…」

それが何なのかも、英語で何て言えばいいかもわからなかったので、紙とペンを借りて必死で絵を描きながら説明しました。我ながら、いいアイデアだと思いました。

必死なので、英語はおそらくめちゃくちゃ。parkとかfaceとか簡単な英単語と身振り手振り、そして絵で伝えていました。

この特徴的な塔がある公園は何か特別な感じがしたので、きっとこの名前がわかれば、大きな手がかりになるだろうという兆しのようなものを強く感じていたのです。

そして、絵を描き終えました。ところが…

スタッフ:「えっと、それは…どこにでもある。Stupa(仏塔)って言って、礼拝する場所なんだ。」

私:……(えーー?!ナニソレーーー😭!!!)

意気消沈。言葉が声になりませんでした。

ネパールの夜は電気が消える


私は、恥ずかしながらこのとき初めて知りましたが、このStupa(ストゥーパ)は、ネパール仏教の有名な仏塔で、さまざまな場所にあるんです。「ネパール最古の仏教寺院」とされる歴史ある寺院「スワヤンブナート」には巨大仏塔があることで知られています。

九死に一生を得る状況の中で、「へ〜」と思いながら、次に思いついたんです。

「Fabioにメールで連絡しよう」と。
パソコンを借りてメールを書きました。

「今、Freak Street(フリークストリート)にいる。宿の名前と住所がわからなくて帰れない。」
書き終えて送信しようとしたそのときです。

部屋が真っ暗になったんです。メール送信は完了せず。

スタッフに聞いてみたところ、
「1日に電気が使える時間が限られている。夜になると電気は使えなくなる。」と。

え?!マジで?( ̄▽ ̄;)

ネパールには原子力発電所はなく、自然エネルギーで電力をまかなっているのですが、ほぼ毎日のように計画停電(?)があるらしいんです。夜になるとインターネットも電気も全て使えなくなると。(今は改善されてるという噂もありますが)

外を見るともう辺りは真っ暗。その場にいた人達が言ったんです。

「今日はもう外に出ない方がいい。街灯もなく夜は真っ暗で外を歩くのは危ない。ホテルを取って泊まった方がいい。」

宿に帰れなくてFreak Street付近の宿で一泊することに


えいとりえいとり

「日本に帰れないのではないか。ここで私の人生はもう最後か…。」

不安な顔の私に、インターネットカフェで出会った人達はみんな親切でした。
「替えの服や下着は必要か?お腹は空いてないか?必要なものはないか?」

日本でいうドンキホーテみたいな場所に買い物に連れて行ってくれたり、ホテルを手配してくれたり、(友達)みんなでご飯を食べるから一緒に食べないかとご飯までいただいたり。

このまま宿にも帰れず、もう日本にも帰れないんじゃないかという不安が過りながらも、彼らの素朴で純粋な優しさに触れて、何だか心がほっこり温かくなりました。

みんなで温かいネパール料理の「モモ(小籠包のような食べ物)」を食べて、ギターを弾いて歌を歌ったり。何だかキャンプみたいで楽しくて。

「電気がない生活も悪くないなぁ」なんて考えていました。

そして、彼らに手配してもらった小さなビジネスホテルみたいな宿に泊まりました。ちなみにその宿の宿泊費は確か1泊450〜500ルピー(日本円で450〜500円)くらいで、シャワーもある割とちゃんとした個室の宿でした。

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翌朝、あるキーワードを思い出す


翌朝、目が覚めてシャワーを浴びて、イタリア人の彼や宿のオーナーとどんな会話をしたかなど、昨日のことをひとつずつ思い返していたところ、あることを思い出したのです。

Fabioと別れ際、タクシーに乗り込んだ瞬間に
「町の名前は〇〇だから!」
そう言ったのを思い出したのです。

その町の名前をタクシーの運転手に伝えればわかるかもしれないと思い、慌ててインターネットカフェに行って、昨日のスタッフに深々とお礼をして

「町の名前を思い出したから帰る」と別れを告げました。

タクシーでドライブして宿を探す

タクシーに乗り込み、町の名前を伝えたのですが、町も広いので、当然ながらその宿がどこかは運転手さんも検討つかず。

そこで、タクシーの運転手さんが町の中をドライブしてみるとのことで、町中を回ってくれたのです😭。もう、感動の嵐。

しかし、どの道も似てるけど、私が見た景色とは何か違う。諦めそうになったそのとき、明らかに昨日通った道らしき景色が見えたのです。そこから昨日の記憶がどんどん蘇り

「そう!この道を見た記憶がある!ここを真っ直ぐでお願いします!Go straight!」

ついに宿に戻れたのです。もう、その運転手さんも私もお互いガッツポーズで大喜び。そのとき、チームワークのようなものが芽生えていました。

この運転手さんがまた素朴で真面目な人で、ぼったくろうともせず。でも、できる限りのお礼をしたいと思って、しっかりお礼金も渡しました。

宿に戻り、Fabioや宿にいた友人が私のことを昨日からずっと探していたことを知りました。戻って再会したとき、血相を変えて探してた様子だったのを今でも覚えています。

みんなに迷惑をかけたけど、あのとき出会ったFabioをはじめとする宿で出会った人達、インターネットカフェで出会った現地の人達、タクシーの運転手さん、みんなに感謝するばかり。

今でもときどき連絡を取って繋がっている人達もいます。

帰国後しばらく経ってからメンバーの一人から連絡をもらったときに「覚えてくれていて嬉しい!」と言ったら
「どうして忘れようか?(笑)(インパクトあり過ぎて忘れるわけがない)」と。

そこで出会った人達のことは忘れられません。

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英語は体当たりのコミュニケーションが一番


長くなってしまいましたが、何が言いたいかというと、言葉は「コミュニケーション」のための大事な道具だけど、言葉を知らなくても伝える方法はあるってことです。

スマホの翻訳アプリを使うのは、もちろんひとつの方法ですが、土壇場で頓知を利かせるスキルを磨くのも必要です。そして、最も大切なのは、「心」で聞いて「心」で伝えることだと思うんです。

えいとりえいとり

あと、正しい英語を話そうとしなくていいってことです。間違っていいんです。

そもそも、人と人は言語で理解しているのではなく、それ以外の要素で理解している割合の方が多いのですから。

「でも、ある程度の日常英会話はできてたんでしょ。」って思う人もいるかもしれませんが、そういうことじゃないんです。

なぜなら、私も全く話せないときがあったからです。英語を勉強して話せるようになっていたわけでもありません。コミュニケーションから始まったんです。

ちなみに、非言語の要素から影響を示す心理学的な原則「メラビアンの法則」では、言語情報はわずか7%と言われています。(割合の詳細は下記の通り)

  • 言語情報(言葉の内容): 7%
  • 聴覚情報(声のトーン・音声の要素): 38%
  • 視覚情報(非言語的要素、身体言語、表情、態度): 55%

当時、カトマンドゥで知り合った人達とのメールのやりとりを見ると、私の英語はひどいレベル。勉強した英語じゃないので、間違いも多いですし。今思うと、よくこれで理解してくれていたなと不思議です。

でも、コミュニケーションで意思疎通ができていないという感覚はあまりなかったんですよね。つまり、人とのコミュニケーションは「心」でしてるってことです。

えいとりえいとり

今、私が英語を話せているのは、勉強したからではなく、こういう「心」で接することができる人達と出会ったからだと思うんです。

まとめ

この旅行の教訓は「言葉がわからなくてもコミュニケーションは取れる」ってことです。あと、もうひとつ大事なこと。海外旅行初心者は、ある程度の計画を立てましょう。それから、入国・外貨両替、宿の予約は万全に。たまたまいい人達に巡り合ったので良い旅となりましたが、そうとは限らないので、安全な旅を心がけましょう。